時々、飼い主さんとかから

先生はなぜ獣医になったのですか?と聞かれることがあるので

書いておきます。

 

「犬猫が好きだったからですか?」 と良く聞かれるのですが

医師には、「人が好きだったんですか?」とかは聞かれて無いと思うのでなぜなのかな?とは時々思います。

犬猫や動物達のことを、好きとか嫌いで考えたことは有りません。

人も含めて命の不思議さに未だ答えは出せないまんまで、病気にならないようにとか、治すことは

病巣という免疫を考えたり、デルマトーム理論という、神経支配から治せないかなぁとか、人は話せて色々な職種や医師でも科目別に細分化され研究されているので、そんな人の分野や薬を犬猫にも使える部分は無いかな?と犬猫は基本全分野を担当出来る面白さと楽しさ?!や飼い主さんに犬猫達の観察担当として

細かく観察していただけたりするので、人の特に大人の世界では判らないことも、飼い主さんは子犬や子猫から老犬老猫まで観察し、私も診察治療が出来るので、獣医師って

経済的肉体的には大変だけと、色々経験できて、医療分野としては大変やりがいがあって楽しい分野だとは思っています。

 

 

我が家の犬猫達と子供達との違いも感じなくて、これだけ自分の犬猫達を家族と思えるのなら、血の繋がりや種類の違いって、何なんだろ?とかは良く思います。

 

 

 

将来の仕事を高校時代進路を考える必要になった時

 

 

新聞社、出版社、競輪選手

も選択に考えたことがありました。

 

 

私は子供の頃から、本や新聞を読むことが好きだったことと、自転車で走るのが、高校時代の自転車通学とかでは、朝遅刻しそうな時はレース状態になるのですが、

そうなると同級生の男子より早かったりしたのです。

 

ただし、私の自転車は祖母が買ってくれたスポーツタイプでもあったので、男子は普通の自転車だったりしたので、自転車の能力で勝っていたと今なら判ります。

 

新聞社等に入ることを考えたのですが、そうするとゆっくり新聞や本を読めないかも!とか、競輪選手はさすがに大変そうとやめることにしました。

 

単純過ぎですね(汗)

 

あと、田舎だったのと当時はネット環境も盛んではなかったので、参考にしたのが、両親や親類の仕事でした。

 

私は3人姉妹の真ん中です

 

父は早くに父親を亡くし、祖母が米屋や農家等をして子供達を育て、貧乏だったらしく、無料で教育学部なら大学に行けたそうで、教師をやっていました。

なので、女性こそ仕事を!そして可能なら手に職が持てる理系をと良く言っていました。

 

母は5人姉妹の末っ子

祖父が、職業軍人で敗戦により

無職の貧乏になり、コチラも

姉妹のほとんどが

無料で大学に行ける教育学部とかに行ったらしく、最初は

何かの教師になった叔母達や母が多く、遠く離れた1人の叔母以外は女性も働いているのが普通な環境で育ちました。

生涯、専業主婦だった母の母親だけは、娘達が働いていることを

「女が働かされて、可哀想だ」と

共働きの状態を嘆いてはいましたが

、祖父が仕事が無くなり、娘達は

働くしかないので、母や叔母達は

いつもスルーして楽しく仕事をしていたので、私も叔母達みたいにカッコよく働く女性にナルゾ!

と夢みていたので、女性が働くことは特別なことではありませんでした。

 

あと、我が家は隣に祖父母や叔母達も住んでいたので、親類達が多く来たり、教員の両親も知人や生徒さん達も呼ぶことが多く、とても賑やか過ぎる社交的な家でした。

 

お喋りな叔母達や姉妹の中で、私はその中で話すことも必要無い位に

皆が話すのもあり、その中には親類に肛門科の病院をやっていた叔父もいて、よく我が家にも遊びに来ていました。

でも、叔母達から病院経営の色々を聞くと、お医者さん同士や看護婦さんとの人関係の色々な問題も聞くと、人と話すのが当時はとても苦手だったのもあり、自分には人の医療の世界は向いていないなぁと思いました。

両親が動物が好きで、犬猫以外にも小鳥やヒヨコや金魚とか、色々飼いたいと言えば飼わせてくれていたのもあり、動物なら話さなくても良く

家庭では動物なら私という、立場になっていました。

 

 

さて、そんな私は動物を飼うだけでなく、例えばヒヨコとかも飼うと、図書館で農林水産省の出している本とかも借りたりして、動物病院も身近な存在ではなく、動物の具合が悪くなると自分ながらに治療方法を本を調べて考えたり、どうしたら良く飼育できるか?等子供の頃から色々研究することが大好きでした。

高校の頃に、遠い親類に動物病院をやっている獣医師がいることを知りましたが、そこにはそれまでは犬猫は外で拾うものだったのに、

高校入学祝いにペットショップで飼って貰った柴犬が、ジステンパーになっていて、診察の結果安楽死を勧められ、人生初の安楽死をした場所となり、そこで大学では、この死の病をなんとか研究してやろう!と

思うキッカケになりました。

 

 

でも当時はじっとしていると足がムズムズして泣きそうになることもあり、多分当時はムズムズ病?だった気が今はしますが、今は大丈夫になっています。

鉄欠乏とかあったかも知れませんね。

 

https://www.tawara-clinic.com/disease/restless-leg-syndrome/

 

当時は、これだとじっと座って研究する仕事もむりだなと、色々動きつつ仕事出来そうで、人と話さなくて良さそうな獣医師に進路を決めました。

 

当時の私は、超無口で頑固一徹だったので、色々両親にはなりたい理由も語らずでした。

そんな性格も知ってくれていたのもあり、両親からは、ひどくは反対もされずでしたが、田舎だったりこともあり、犬猫を動物病院に連れていく人はほとんど居ないだろう、ということで、公務員になるならということで行かせてくれました。

私は、公務員には向いてないと思っていたので、入ったらこっちのもんだ!と思っていたことは、今も両親には内緒です。

 

あと私の後に、3つ離れた妹が国立といえども6年制の大学に行くことになってしまい、地元を離れて下宿していたのもあり学費等、奨学金は使いましたが両親にも妹にも大変な迷惑をかけていたのを、卒業後に知り申し訳なく思いました。

 

 

基本、人と話すのが苦手だった私でしたが、大学卒業近くなり、開業している動物病院見学とかするようになると、飼い主さんと言う人達が、犬猫達にはもれなく付いて来るのに気が付き、大変びっくりしました。

でも、動物園に就職も少し考えたのですが、豚や牛とかの実習で注射をしようとすると、突撃して来るのはさすがに逃げるのも大変!なのと、産業動物は、経済的に治療するより、と殺等を選ぶ必要もあったり、

動物園の動物だと、大き過ぎて麻酔しないととことん検査も治療出来ないことを知り、病気等を追求したい私には向いてないなとも思い大きな動物はやめておこうと思い、対象動物を犬猫とかに決めました

 

これが、私が獣医師になったキッカケです